きらり



「今日もお泊りしてもいいの?」
ぶかぶかのシャツに身を包んだ女性が、キッチンの奥へ声をかける。と、彼女の着ているシャツの持ち主である男性が二つのカップを手に戻ってきておうむ返しに聞いた。
「いいの?」
女性は差し出されたカップを受け取りながら、男の台詞に一瞬首を傾げかけ、すぐに何のことか理解してああ、と呟いた。
「いーのいーの。あいつ、一日二日カップ麺続いたって死にゃしないから。」
からっと笑い、カップの中のブラックコーヒーをすする。
「僕のせいにしないんなら構わないんだけど。」
砂糖少しに多めのミルクの入ったコーヒーを飲みながら、男が呆れたように呟く。コーヒーの湯気で縁なしの眼鏡が曇った。
「だーいじょぶ。ちゃぁんと、カズ君が帰してくれなかったの、はーとまーく、って言っとくから。」
言いながらカップをテーブルに置き、男の腕にすいっと自分の細いそれを絡める。そしていたずらっ子のように笑う。
「やめてよ。店に行きづらくなる。」
苦笑まじりに言って、曇った眼鏡越しに薄く開いたカーテンを見る。朝の柔らかな光が差し込んでいた。



男性の名は右田和真(みぎた かずま)。歳は25。地元の常連客の集う「カフェ ミギタ」のマスターである。最近は彼の穏やかな風貌に惹かれて、一部の女子高生も通っているようだ。
女性の名は日向千夏(ひゅうが ちなつ)。歳は24だが、早生まれなため学年は和真と同じ。地下一階にある「カフェ ミギタ」のすぐ上、つまり同じビルの地上一階のレストラン「Yellow Bell」でシェフをやっている。大学二年の弟と同居していて、彼は「カフェ ミギタ」でバイト中である。



水曜日の今日は「Yellow Bell」定休日である。その休みを利用して、千夏はたまに和真の部屋に泊まりに行く。いつもならそれで終わりなのだが、この日は珍しく和真が「もう一日泊まっていかない?」と誘ったのだ。彼の店は木曜定休なので問題ないが、千夏のほうは仕事がある。それに、彼女が作らなければ彼女の弟の食事もない。だから断られるかなと思いながらの誘いだったのだが、千夏は喜んで頷いた。それが冒頭部分なわけである。


「それじゃ、そろそろ行ってくるから。」
「いってらっしゃーい。後でお昼作ってくから一緒に食べようね。」
まるで新婚夫婦のような会話とともに家を出る。途中、彼の店に通う女子高生数人に声をかけられたりしながら、店の入っているビルに着くと地下への階段を下りていく。店のドアの前には既に先客がいた。色を抜いた少し長めのパサパサの髪の奥には、いつも何だか眠そうな瞳。それがクールな感じでイイ、とは常連の女子高生の言葉。
「やあ、亮くん。早いね。」
彼が千夏の弟、亮(りょう)である。水曜日は大学の授業は昼からなので、午前中はバイトを入れているのだ。
「あ、和真さん。おはよーございます。もー、朝食うモンなくて仕方なく…いや、別に仕事がイヤなわけじゃないんすけど。」
その言葉にドキリとする。これから彼に、千夏がもう一日泊まる事になったことを言わなければならないのだ。
鍵を開けながら、乾いた笑いで場を濁す。
「あ、ははは…ごめんね、姉さん借りちゃってて…。」
「別にいーっすよ。今晩は食えるんだし。」
ノブから引き抜いた鍵を取り落としそうになる。かなり心臓に悪い。
「あのね、そのことなんだけど…。」
「はい?」
「ちな、もう一日借りちゃうことになったんだけど…。」
一瞬の間。
「あー、やっぱ止めとこう。亮くん空腹にさせちゃ悪いよね、うん。」
「別にいーっすよ。」
「えっ?」
「その代わり、モーニングセット二人前、和真さんのおごりでよろしく。」
ちゃっかりカウンター席に座り、にっこり。
和真は面食らっていたが、ふっと吹き出すと穏やかな声で言った。
「はい、モーニング二つね。」


昼になり、シェフ曰く「店で出すのより気合入れて作った」昼食を食べながら、思い出したように千夏が聞いた。
「そういえば、今日ってどうして急にもう一日なんて思ったの?何かあったっけ?」
和真は口の中の物を飲み下してから、ふと考え、手近にあった新聞を千夏のほうへ押しやる。
一面には、何十年に一度だというナントカ流星群とやらの記事がおどっている。デカデカと書かれた見出しは「ピークは本日0時」。
「あ、今日なんだ。」
「そういうの興味無かった?」
たいした感動を見せるわけでもない彼女の反応に、和真は少し不安げに問う。
「ううん、好き。ただ、全然知らなかったなってだけ。」
その言葉に、違うと分かっていながらも思わず赤らむ顔をフイとそむけて、よかった、と呟く。
「管理人さんが、マンションの屋上を特別に開放してくれるって言ってたから、一緒に見ようと思ったんだ。」
「あぁ、カズ君ちのマンション、背高いもんね。沢山流れるといいな。」
ぱっと咲いた笑顔に、つられて和真も微笑む。その横を、パンと汚れたバッグを手に、口をせわしなく動かしている亮が走り抜けて行った。
ドアの外で彼とぶつかりそうになった女性が食い逃げじゃないの、と訝しげにその背を見送っていた。


穏やかに時は過ぎて、その日の晩、和真の住むマンションの屋上である。
何十年に一度だという流星ショーを楽しもうと思うのは彼らだけではないらしく、そこには同じマンションの住人たちがいた。和真たちは空いている場所をなんとかみつけるとそこに落ち着き、時計に目をやった。11時30分。もう一つ二つ流れるのが見え始めてもおかしくない時間だった。
「………。」
「………。」
しばらくはじっと空を眺めていた二人だったが、じきに和真が呟いた。
「……流れないね…。」
しかし千夏はそれには答えずに言った。
「………そういえばね、今思い出したんだけど。」
ん?と傍らの彼女に視線を移す。千夏は星空を眺めたまま、しかしどこか遠くを見ている様な顔で続けた。
「小さい頃、夜眠れなかった時にね、星の数数えなかった?」
「ああ…やったね、そういえば。」
また視線を夜空に戻して和真が言う。その視線の先には星の数を数える幼い頃の彼がいるようだった。
「最高でいくつくらいまで数えた?」
「僕はね、1000過ぎたくらいまでいったのは覚えてるよ。多分、途中で寝たんだと思う。その後のこと覚えてないから。」
「へぇ……凄いね、さすが。私、100いかなかったんじゃないかな。どれ数えてどれ数えてないか分かんなくなっちゃって、諦めたの。」
でも、1000か、何か悔しいな。そう口の中で呟くと、千夏は手を伸ばして1,2,3…と数え始めた。一つ数字が上がるごとに手が細かに動く。
和真は半ば唖然として彼女を見ていたが、急に彼女の左手を取るとその薬指の指輪を外した。
「えっ?」
千夏が驚いて視線を彼に移すと、和真はその指輪越しに星空を見て、言った。
「全部数えるのは大変だからね。僕は、これだけで満足。」
銀色の指輪の中に、7つの星が捕らえられていた。
千夏は急にくすくすと笑い出し、じゃあ私はこれだけ、と和真の指から指輪を外して空を眺めた。
「あ、1つ多い。やったね。」
「えー?6つしか見えないけど…」
「そんなことないよ、ちゃんと8つ………」


結局その晩、星が流れることはなかったが、かわりに彼らは忘れかけていた何か大切なものを取り戻した。
そんな気がしていた。







翌日、千夏は店を休み、和真と二人で亮の買ってきた風邪薬の世話になったということだ。




――――おしまい


キーワード「指輪」「薬」「星空」をクリア…?(笑)


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