HAPPINESS
-- 5 years ago --









それは、光。

暖かく優しく眩く、包み込む光。

手を伸ばせど触れること叶わぬ遠き日の、甘く切ない、記憶。






***







その日が何の日であるか知っているし、世間一般ではどんなことがなされているのかも知っている。叶うならば全て忘れ去りたいと彼は本気で思っているけれど、浮き足だった街が、ささやかに飾り付けられた職場が、それを許さない。
元来世を生きにくい性質の彼の溜息が増えるのは、こんなときだ。

早番のため普段より早い時間に帰途についた彼は、眉間の皺を深めた。
通りに人が多い。時間のせいでないことは明らかだ。
幸せそうな顔をしてふわふわと浮かぶように歩く人間の多いこと。
彼は他人の幸せを嫉むような人間ではない。ただ、人混みが嫌いなだけだ。人々が共有しているであろう幸福感を、勝手に自分とも共有しようとするこの雰囲気が嫌いなだけだ。
例えば、そう。
普段は小言ばかりの、あの器の小さな上司だ。
朝からにやにやと上機嫌で、聞いてもいないのに今日は妻と食事でね、などと話し始めた。常にも増して業務の邪魔なことこの上なくて、上司でなければ勝手にしろ、自分に干渉するなと言っていたに違いない。
「………。」
不愉快なことを思い出した、と彼は溜息を吐く。
騒ぎ立てるなら勝手にすればいいし、便乗した商売人の手の上で転がされるのも本人の自由だ。
彼が望むのはただ一つ、静かな日常だけだった。
どこもかしこも騒がしくて気の休まるときがない。これだからイベントごとは嫌なんだ。
また一つ、溜息が落ちる。


大通りに並行して敷かれた通りのうちの一つに入ったところで、気が緩んだのだろう、彼は小さく息を吐いた。この通りに並ぶのは古くからの店ばかりで、大通りのように飾り立てることもなければ訪れる人の数もまた多くない。入り口の足下や店内の棚の上に、形ばかりに小さな飾りがあるだけだ。
それらを横目に見ながら、彼は通りの半ばに位置する古い書店へと向かう。その二階が、現在の彼の家だった。
ガラス越しに覗き見た店内には予想に違わず客の姿はなく、奥で老爺が舟を漕いでいる。
二階に上がる階段は店内から入った方が近いが、彼は軽く肩を竦めると裏へとまわった。

老爺の好む煙管の臭いが染みついた階段は建て付けも悪く、どれだけ気を遣おうともぎしぎしと悲鳴を上げる。
気にするだけ無駄か、と彼が考えたとき、二階から軽い足音が聞こえた。顔を上げると、扉を開く音に続いて柔らかな声が降ってくる。眠る老爺を気遣ってだろう、その声は普段よりもトーンが落とされている。
「シグ、お帰りなさい。」
「ただいま、ルナ。…どうしたんだ?」
階段の頂上で立ち止まって自分を見下ろす妹に違和感を覚え、尋ねる。にこにこと楽しそうに…街中に溢れていた人々と同じように…微笑む彼女は何も言わず、兄の手を取ると彼をリビングへと導いた。

リビングは暖かい空気と、甘い匂いに包まれていた。クッキーかケーキを焼いているのだと彼は理解し、それが何を意味するかもすぐに察した。
それでも、目の前の光景を受け入れるには時間が掛かった。
リビングの片隅に大きな木の鉢がある。もみの木だ。大きく広がった枝にはそれぞれに、手作りらしい人形やリボンの掛かった箱、ベルにリボン、丸い飾りなどが賑やかにつり下げられている。
何だこれは。
職場で、街中で、嫌と言うほど見たものが何故、家にまであるんだ。今年からは静かに過ごせると思っていたというのに。

あるはずのない物の存在をどうにか認識して、漸く彼は口を開いた。
「……ルナ、これは…」
「綺麗でしょう?全部一人で飾り付けたのよ。」
嬉しそうに微笑む姿に一瞬、躊躇う。相手は彼がこの世で唯一心を許している妹だ。彼女の幸せそうな様子は彼にとっても嬉しい、それは間違いない。それでも、許容範囲というものはある。
彼は目を閉じて一度大きく息を吐き、ルナ、と妹の名を呼ぶ。
「何故わざわざ、こんなものを出してきたんだ。」
「だって、クリスマスだもの。」

それは、クリスマスが近付くたび娘のようにはしゃいでいた夫人が繰り返した台詞だ。飾り付けを強要されるときに必ず聞かされたその台詞は、間違いなく自分のイベント嫌いに影響を与えている、と彼は思う。
夫人がいなくなり、老爺も何も言わず、今年からは静かに過ごせると信じていた。

「違う、どうしてこんなことをしているのかと聞いてるんだ。」
夫人を喪って、老爺は随分と憔悴した。最近でこそ以前の元気を取り戻しつつあるけれど、以前と同じになりはしないことくらい、彼にだって分かる。
こんなことをしても、夫人のことを思い出させるだけだろう。
彼女は兄の目を見、微笑んだ。
「シグは優しいね。」
「? 何の…」
「大丈夫よ、お爺さんはきっと喜ぶから。」
何かを確信しているような物言いに、彼は戸惑う。
兄の前以外では時折そんな様子を見せるのだけれど、彼はそれを知らない。

だから、と兄の手を取り、彼女は何かを握らせる。
見事に飾り付けられたツリーが完成するのにどうしても必要なもの。
飾り付けをする間じゅうテーブルの上に置かれて、時折彼女に優しい目で見られていたもの。
その正体を確信してしまって、彼は手元を確認しないままにそれを押し返す。
「無理よ、私は背が届かないもの。」
「それは俺も同じだ。椅子を使えばいい、支えてるから。」
「落ちて怪我をしたらどうするの?」
「俺が受け止める。」
「ふふ、嬉しい。でも駄目よ、これはシグの役目に取っておいたんだから。」
「余計なことを…」
「シグ?」
飾りを持つ手を包み込むように握られ、逃げ場を失う。
毎年夫人に使われてきたのと同じ手だというのに、この状況から逃げられたためしがない。
成長してないな、と彼は内心溜息を吐く。
「………ルナが付けるのに付き合うことなら、出来る。」
自分が付けるのではなく。
言外にそう言うことが彼が出来る最大の抵抗であり、唯一の妥協点だった。
兄の言葉に満足したらしい妹は大きく頷き、手近な椅子を傍に引き寄せた。
先に椅子の上に立つと彼は妹に手を貸し、バランスを崩さないよう細い身体に腕を回した。
反対の手は、渋々、大きな星に添え、
「しっかり持ってくれないと、私、手を滑らせてしまいそう。」
「………。」
星の鋭角の一つをしっかりと握りなおす。
目線より低い位置にある木の先端に固定して、ぐらつかないか確認をしてから二人はそっと手を離した。

ほう、と溜息が落ちる。言うまでもなく、少女がもらしたものだ。
手の中にあったときには古い金属でしかなかったのに、灯りを鈍く反射させる星は、今やツリーの一部として馴染んでしまっている。ずっと昔からそこにいたかのように、誇らしげに。
そこまで考えて、彼は己の思考の愚かしさに首を振った。
物に感情を見るなんて、馬鹿げてる。
「素敵ね。…何だか、嬉しそうに見えない?」
先に椅子から降りた少女が微笑む。
青年も降りながら、肩を竦めてみせる。
「そうか?」
「もう。クリスマスくらい素直になってもいいでしょう?」
椅子を元の位置に戻してから振り返る。
「………。素直な俺を見たいか?」
「見たいわ。私にくらい見せてくれてもいいんじゃないかしら。」
否定を予期した問いかけを真っ向から肯定されて、言葉に詰まる。
こうなると出てくるのは性質ではなく、照れだ。
意味もなく頭を掻いて俯く彼は、そのときだけは妹を大切に想う一人の兄だった。

「……………悪く、ないんじゃないか。爺さんも喜ぶんだろう…ルナが言うんなら。」

俯いていたから彼は知らない。
そのとき彼女が、今にも泣きそうなほどに幸せそうな表情を浮かべていたことなど。
それでも。
「…うん。……じゃあ、お爺さんを起こしに行きましょう。」
そう言った声が、握った手の力が、その喜びを確かに伝えていて。

だから彼も、柔らかな手を強く、握り返した。




――――おしまい



リレー小説にはシグで参加してました。タイトルの通り、5年前の話なのでリレーではシグは22歳。
で、この話の1年後に彼らの住む街を襲った激しい嵐によってルナは命を落とします。
リレー本編のシグエピソードで、死後もずっとシグを見守り続けてたルナと接触したり、ルナが持ったままだった、シグの「他者の機微を察する能力」を返還したり…てなことを考えてましたが、メンバー揃って街から旅立ったところでリレー止まりましたウフフアハハ。

今後創作で出していくという予定は今のところありませんが、何かあったとしても、とりあえずルナが生きてるのは確定。
リレーにサブキャラとして出していたシグの同僚(で、親友←シグは否定)のゼランと両思いになるんじゃないかなー。リレーではゼランは振られてました(笑)
現状、一番可能性が高いのは、他の話にゲストキャラとして登場する…辺りでしょうかね。まあ、予定は未定。


素材使用:Little Eden


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