あめふり



遠くから、近くから、蝉の声が波のように押し寄せてくる。
波のように、と言ってもそれは波打ち際の寄せては返すそれではなくて、もっと、大海原のど真ん中の、一方向に流れゆくものだ。そう、海流だ。いくら嫌だと拒んでも自分の言い分など聞いてくれるわけもなく、ただ押し寄せてくるだけ。奴らは喧しく鳴き立てるだけなのだ。
お気に入りのソファにぐったりと寝そべって、都は強く、目を閉じた。耳を塞いでも防ぎきれない蝉の鳴き声、それならば心を閉ざしてしまえばいいのだと、まずは手っ取り早く視界を遮断した。
けれど降ってきたのは、呆れた様子の母の声。
「都、寝るなら部屋で寝てちょうだい。掃除の邪魔よ。」
「寝てない。それに部屋暑いからやだ。何でこの家、クーラーがリビングにしかないの?」
母は答える代わりにクーラーのリモコンを操作して、冷房を止める。天井近くの古びた機械は従順に冷風を吐き出すのをやめて、じわじわと体感温度が上がり始める。それでも無言の抵抗を続ける都を気にした様子もなく、母はがらがらと部屋の窓を開け放っていく。
ぬるい風にうめく娘を哀れむ様子すら見せない母は非情だ、都はじっとりと母を見遣る。
「ああもう、鬱陶しい。じめじめじめじめ、あなたがいると部屋が湿気ちゃうわ。ちょっと外で乾いてきなさい。」
「娘を何だと思ってるのよぅ…。」
「いつまでも乾かないぬいぐるみを産んだつもりはなかったんだけどね。あなた、その内カビるわよ?」
「……………。」
そこまで言われては、さすがに動かずにはいられない。
とはいえ都の移動距離は間続きのキッチンの椅子まで、ほんの数メートルだ。忙しく立ち働く母と、運動量は比べものにならない。
冷蔵庫から麦茶を出して、グラスに注ぐ。
一口飲んで、ふと視界の端に入った窓の外をぼんやりと眺める。
自転車で行けそうな距離に深い緑の山が見える。この辺りの子どもたちの遊び場だとか聞いたから、もしかしたら子どもたちはあそこまで平気で歩くのかもしれない。自分には到底無理だ、と都は溜息を吐く。
山の足下には大きな家が広い庭とセットで並ぶ。干してある布団の白が遠目にも眩しい。遊んで貰っているのか、庭を駆け回る犬の鳴き声が届く。
そこから伸びる道は、幼い子どもが画用紙に線を引いたように、歪に揺れている。都会で見慣れた灰色ではなくて、茶色のクレヨンで引いた線だ。
左右には田圃がずらりと並び、艶やかな緑が風の軌跡を描いている。
どれもこれも、都会になかったものだ。見なかった色だ。
ここはやはり住み慣れたあの街ではなくて、田舎の比奈香村なんだと嫌でも実感して、都は泣きたくなった。

喘息の弟のため。
それは分かっている。都だって年の離れた弟が可愛いし、彼には毎日笑顔でいて欲しいと思う。
だけど、それとこれとはきっと別だ。
中学からエスカレーター式に上がった高校、代わり映えのしない制服、相変わらずの友達、中学の頃から皆で目を付けていたちょっと素敵な先生、皆で毎日寄り道する二つ向こうの駅、コンクリートに塗り固められた街並み、敷き詰められたアスファルト、排気ガスの臭い、静かって言葉を忘れたみたいな街、毎日どこからだか集まってくる人間、ムッとした空気、キンキンに冷えた室内………。
最高の環境だったなんて言わないけれど、それでも、都は15年と少し、そんなところで生きてきたのだ。
いきなりこんな「何もない」ところに連れてこられたら、泣きたくなって当然だ。
あの街に、絶対必要とは言い切れないものばかりで溢れかえるあの街に、帰りたい。
都はきゅっと、唇を噛んだ。


突然足の甲に冷たいものが落ちて、我に返る。手に持ったまままのグラスの表面にびっしり付いた水滴がついに雫となって落ちたらしい。指で小さく描いてみたハートマークは、あっという間に生まれた筋によって魔法のステッキになった。
ぶぅん…、背後で掃除機のモーター音が止まり、母が大きく息を吐く。
ゆるりと顔を上げ、新しいグラスに目一杯の氷を詰めた。もう一度冷蔵庫から出した麦茶を注ぐと、ピシピシ、氷の悲鳴が聞こえる。
母にはこれが「お仕事だぞ」「よしやるぞ」と氷が気合いを入れているように聞こえるらしい。氷が触れ合ってカランと鳴るのは、すれ違う氷どうしのハイタッチだという。
おかしな耳をしていると同意して欲しくて学校で友達に話したら、全会一致で「確かにおかしいが、悲鳴にも聞こえない」と言われた。以来都は外で飲む以外は飲み物に氷を入れない。
「お茶どーぞ。」
「ありがと。」
母が受け取った麦茶を美味しそうに飲むのに合わせて、氷が涼やかな音を奏でる。
ふと気付いたように彼女がグラスを揺すり、呆れた顔の娘ににっこりと笑う。考えていることは同じらしい。
「………。母さん、やっぱり私だけあっちで独り暮らし…」
引っ越す前にも何度か話し合った話題を、もう一度持ち出した。
結局きちんとした結論は出ないままにここまで来ていたというのもあってだろう、今や「独り暮らし」という単語は都の未練と希望の象徴となっていた。
とはいえ、やはり母は非情で。
「掃除は。」
「するよ。」
都は、自室の掃除だけは欠かしたことがない。
「洗濯。」
「出来る、よ。」
以前色柄ものとお気に入りの白いシャツを一緒に洗って三日落ち込んだ実績がある。
「料理。」
「…で、きるもん。」
口癖は、胃に入れば皆同じ、だ。
「朝起きられるの?」
「う…。」
修学旅行で人より早く起きたことはない。中学のときに付けられた「眠りの都」の二つ名は何とかして消し去りたいものの一つだ。
都の胸中を知ってか知らずか、母は呆れたように溜息を吐いた。
「自活できるようになるまではここにいなさい。仕送りする余裕だって、あるか分からないんですからね。」
それはつまり、最後通告。
少なくとも、掃除と洗濯と料理と自力起床と就職、という壁を乗り越えない限りはここで暮らさなければならないということだ。
世界がぐるぐると回るような、足下が盛大に音をたてて崩れていくような。
夢のように輝いていた「独り暮らし」という象徴が色褪せて、遠のいていくのを感じた。
現実はどこまでも、都に厳しい。
「……散歩してくる。」
気分転換の主な手段は、散歩。信じたくなくとも、それが現実だった。



照りつける日差しから逃れるべく、都は家の裏にある林に踏み込んだ。
林の中は外よりは多少涼しくて、時折風が吹き抜けた。
それに少し気分を良くしたのがいけなかったのかもしれない。
「…迷った……?」
人の手が入った林とは言っても、遊歩道のような親切な道が敷かれているわけではない。勿論順路の矢印があるわけもない。
ここに暮らす人々であれば、樹木の種類や特徴で位置を知ることも出来たかもしれないけれど、都はこの村に越してきたばかりなのだ。そんな芸当が出来るはずもない。
とりあえず立ち止まって見回してみても、似たような木が似たように並んで枝を天に伸べているだけ。もう自分がどちらから来たのかも、分からなくなっていた。
都はまた、泣きたくなった。
今回は自分の不注意が原因だと分かっている。けれど、そんなことは今の都には関係なかった。今の彼女は、愛すべき街という城から連れ去られた哀れな姫君なのだ。姫君には、自業自得なんて言葉はない。
「どうしよ……」
ざっ、と。
すぐ側から聞こえた足音に、弾かれたように顔を上げる。この状況では、人買いか山賊のような悪漢か、山姥が出てきてもおかしくない。彼らは言葉巧みに姫君を誑かして、アジトか住処に連れ込むのだ。
しかしそこにいたのは、目を丸くして都をじっと見る青年だった。青いワイシャツの襟を緩めて、左腕で濃い色の鞄か何かを脇に挟んでいる。都会でならばよく見掛けたかも知れないけれど、田舎の村の林の中では、その恰好は浮いて見えた。
「こんにちはお嬢さん。道案内が必要かな?」
年の頃は二十代半ばといったところだろうか。人の良さそうな笑みを浮かべて微笑む姿はしかし、今の都の目には、幼気な娘を騙して連れ去る人買いに映って見えた。
「…結構です。」
「意地張っても良いことないよ?ほら、おいで。」
男は苦笑して都に歩み寄り、ごく自然な動きでその手を取った。都が身体を強張らせるのを気にした様子もなく、林の中を歩き始める。
「わ、触んないで離してよ、警察呼ぶわよ。」
「誰も来ないよ。」
「はぁっ?」
これは本格的に、危ない。
このまま、人買いのアジトに連れて行かれるに違いない。そうして都は、どこか遠くの山奥の、逃げられない場所にある工場に売られてしまうのだ。
本人の許可なく繰り広げられる想像に顔を青くする都とは対照的に、男は朗らかに笑う。
「だって僕がこの村でたった一人のお巡りさんだから。」
お巡りさん。
それは一般に、警察官のことを親しみを込めて呼ぶ際に使われる単語だ。
男は自分をそう呼んだ。つまり、男は警察官だ、ということになる。
言葉を失う都の手を一旦離して、男は手に持った鞄を頭の上に乗せる。鞄だと思っていたのは、帽子だったらしい。
落ち着いて見れば、その姿はどこからどう見ても警察官だった。それすらも分からないほどに動転していたことが恥ずかしくて、都は口を尖らせて不服そうに呟いた。
「…確かに、警察の制服みたいだけど。」
「名前は?僕は宮治っていうんだけど。」
都の言葉には応えず、宮治と名乗った男は笑みを浮かべる。
「……森下、都。」
「ああ、この間越してきた森下さんとこの?やっぱりね、見ない顔だと思ったんだ。宜しくね都ちゃん。はいコレ、警察手帳。」
目の前でぱかりと開かれたそれは、いつかドラマで見た警察手帳と同じだった。もっとも、ドラマの中の刑事はもっと年上でヨレヨレのコートを着ていたし、どんなシーンでも眉間の皺を欠かさなかった。
手帳の向こう側で笑う青年が、手帳の中では真面目な顔をしている。名前を見ると、橘 宮治とある。
「橘…宮治?宮治って、名前なの?」
「そうだよ。一度聞いたら忘れない、いい名前でしょ。」
変な名前だと思ったけれど、都は言わないでおくことにした。


どうにか身分が証明された宮治に連れられて、都は林の奥へと歩いていく。
奥へ、だ。気のせいではない。
「…道案内って、どんどん奥に入ってる気がするんだけど。」
「近道だから。もうすぐ抜けるよ。」
近道と言われても、どう考えても初めて通る深さの林だ。先程までは木漏れ日がちらついていたのに、今やちらと差す光すらない。
やはり、人買いだったのかもしれない。
都が不審げに青年の後ろ姿を睨め付けたとき。
「ほら。」
宮治の指さす先で、林が切れていた。向こう側には田圃の緑が見える。
ほっと息を吐いて足を速め、その途中でまた眉を顰める。林を抜けるより、首を傾げる方が早かった。そこに見えてきた景色は、似てはいるけれど見覚えのないものだった。都の記憶違いでなければ、近所に青い瓦の家はなかったはずだ。
先に林を出ていた宮治は側に建っている家の方を見て、手を振っている。家の庭に、一人の老婆の姿が見える。
「タキさーん。」
「タキさん?」
老婆がこちらに気付き、頭を下げた。



埃を被ってくすんだ蛍光灯を受け取って、新しいぴかぴかの蛍光灯を渡す。
古いものは新しいそれが入っていた筒状の箱に同じようにしまっておく。
座卓の上に立って作業を続ける宮治を、今度は不信の目で睨む。
「最近は案内って『騙して手伝わせる』って意味に使うのね。知らなかった。」
「タキさんのお茶美味しいでしょ。それとも迷子のままがよかった?」
嫌味たっぷりに言ってやっても、警察の制服を着た男は悪びれもせず問い返してくるだけ。
こんな人間が警察官だなんて、この国はどうなっているんだろう。都はただ溜息を吐く。
「…よし、完了っと。」
肩を回し首を捻りながら、座卓から下りた青年は慣れた様子でその上を拭く。
憮然とする都から古い蛍光灯を受け取ると、奥にいるタキのもとへと向かった。
「終わりましたよー。あ、蛍光灯僕が持って帰りましょうか。いいんですか?…そんなの、気にしなくていいのになあ。……じゃあ、他に何かあります?何でも言って下さいよ、若いのは使ってナンボ、ですから。」
戯けたような宮治の声のあと、タキの笑い声が聞こえた。
宮治が言ったのは村の誰かの口癖だろうか。
「水道ですか?うーん…まあとにかく、見てみましょうか。」
詳しくは分からないけれど、どうやら奥では話が纏まったらしい。二人の気配が遠のいていく。
新品の蛍光灯が煌々と照らす居間に一人取り残されて、都はまた息を吐く。
「私はどうすればいいのよ…。」



そこは懐かしい教室で、懐かしい顔ぶれが揃っていた。その中心にいるのは、懐かしい制服を着た都だ。
ああ、これは夢か。
どこか翳りのある表情で喋る自分の姿を客観的に見ながら、都はぼんやりと思う。
毎日馬鹿みたいな話をして、馬鹿みたいに大笑いしていた。だけど、どんな話をしていたかはよく覚えていない。おかしくて笑っていたのだけは覚えているけれど、多分大したことではなかったのだろう。
もう戻ることの出来ない愛しい日々、そこで自分はどんな話をしていたっけ。
都の思いに呼応するように、夢の音声がボリュームを上げた。

「…イナカ村?」
「違う、ヒ。ヒナカ村。」
話し終えたばかりの引っ越し先の名を繰り返す。
行かないでと泣いて欲しいわけではないけれど、せめて引っ越し先の名前くらいは一度で覚えてくれてもいいのに、と思う。
「似たようなモンじゃん。そこゲーセンあんの?」
「隣町には『プレイランド』ってとこがあるらしいけど。」
「『プレイランド』!さすがイナカ村!」
「ヒナカだって!」
「アハハハ!」
もうじき自分は、あんたたちが大笑いするその場所に行くんだ。
喉まで出掛かった言葉は、どこかに引っかかったのかそれ以上登りも降りもしなくなる。
「でもさすがに携帯は入るんでしょ?」
「………。」
「…まさか。」
「嘘でしょ?」
「母さんのは入らなかった、って。」
携帯のない生活なんて、耐えられない。
それはこの場にいる全員が理解できるはず、なのに。
「うわ。田舎っつか、外国?」
「連絡手段はエアメールです、みたいな?」
自分との別れを惜しみに来ていたはずの友達が、声を揃えて大笑いする。お腹を抱えて、涙を流す奴までいる。
ああそうか、思い出は美しいってこういうことか。
都が悟ったのと同時に、夢の中の都が溜まりかねて立ち上がる。
「お…」



「お前らもうダチじゃねえ!!」
「うわっ。」
目を開いた都が一番に見たのは見覚えのない庭だった。
夕暮れ時の強い西日に照らされて、辺りは茜色に染まっている。そのまま童謡に歌われていそうな風景だ、とぼんやり思う。
覚醒しきらない身体を起こすと、漸く都は自分が縁側で眠っていたことに気が付いた。どれくらい眠っていたのかははっきりしないけれど、それなりに焼けてしまっただろうことは間違いない。失敗した、薄く溜息を吐きながら振り返る。目覚めた直後、背後から声が聞こえたのは聞き違いではなかったはずだ。
果たしてそこにいたのは、ぎょっとした顔の宮治だった。向かいにはタキの笑顔も見える。二人で何やら話でもしていたらしい。
「友達少ないの?僕がなってあげようか。」
表情を笑顔に入れ替えた宮治が、至極失礼なことを言いながら縁側へと移動してくる。
こんな、嘘吐きで信用ならない人、頼まれたって御免だ。都は冷たい目で宮治を見上げる。
「結構で」
「なんてね。」
「………。」
嘘吐きで信用ならない上に、性格も悪い。警察になるのに性格は問われないんだろうか。
自分が採用試験の試験官なら、絶対に不合格の判を力一杯押している。今からでも遅くないんじゃなかろうかとすら思う。
「私に友達が多かろうと少なかろうと、宮治さんには関係ないことだわ。」
「そうだね。」
宮治はそう、笑顔で言い切った。タキがいなければ引っぱたいてやるところだ。
「『一度会ったら友達で♪』って、知らない?」
「は?」
「知らないか…うーんジェネレーションギャップ。まあとにかくね、そういう歌があったんだよ。」
「はあ。それで?」
「だから。僕たちもう友達だよ。」
真っ直ぐに都に向けられた笑顔は、人が良さそうで朗らかで、それでいてどこか人をからかうようでもあり。
この数時間で宮治の笑顔を何度か見たけれど、その全てに似ていて、でもどれとも違っていた。
こういうのを、素の笑顔というのかもしれない。
浮かびかけた考えが何だか腹立たしくて、都は宮治から視線を外した。
改めて見たタキの庭は先程より暗く、影が勢力を増していた。見上げた空も、茜に染まるのは西の方ばかり。既に全体の半分以上が夜に向けての準備を進めている。
「ていうか…え、今何時?」
「黄昏時。」
「早く帰らないと怒られる!」
「あれ、無視?」
叫ぶやいなや立ち上がり、縁側に行儀良く並んだ自分のサンダルを引っ掛ける。
隣で宮治が何か言うのも今の都の耳には届かない。勿論それは、意識的に、そうしているのだけれど。
「タキさん、ご馳走様!」
庭に下りてから奥に声を掛ける。手を振るタキに軽く会釈をして、都は玄関の方へと走っていった。
残された宮治はそんな彼女の背を、目を丸くして意外そうに見送る。
やっぱり、偏見はいけないな。苦笑いで窺うように見上げた空は、さらに藍を強めている。
「………。タキさん、傘貸して貰えます?」
振り返ると、タキは穏やかに微笑んでいた。



急き込んで出てきたはいいものの、都はタキの家の前で立ち尽くしていた。
「…道、分かんないんだった。」
しかもきちんと道から来たわけではなく近道とやらを抜けてきたせいで、大体の家の方向すら分からない。
こんなことなら家でダラダラするだけでなく、近辺の景色だけでも観察しておくべきだった。そうは思っても後の祭り、都にはどうすることも出来はしない。
「せっかちなお嬢さんだね。ちゃんと送ってくのに。」
都に出来るのは、わざとらしく言うこの男を待つことだけだった。
と突然、宮治はいつの間にか手にしていた黒い傘を開いた。男物のそれは二人をすっぽりと覆うほど大きくて、都からは空が見えない。酷い圧迫感だ。
「え、何してんの。」
「さ、行こう?」
またしても笑顔だ。宮治は都の肩に軽く手を添えると、早すぎない速度で歩き始める。
「ちょっと、離してよ。警察呼ぶわよ隣町から。」
「一時間くらい掛かるよ。」
抵抗も虚しく、都は宮治に連れられるままに歩く羽目になる。
雨も降っていないのに真っ黒で大きな傘をさして、広い道を二人寄り添って歩いている。他に人がいないのが救いと言えばそうかもしれないけれど、馬鹿みたいだ。
都があからさまに溜息を吐いてみても宮治は気にした様子がない。都と違って彼はこの村の皆と知り合いのはずだ。誰かに見られたら、とは考えないのだろうか。別に気にしてやる義理もないけれど、言い訳みたいにそう付け足して。
見上げた横顔は、夕闇の中楽しそうに微笑んでいた。



周囲に人家のない田圃の真ん中で、唐突に宮治は足を止めた。
日が落ちて随分経つからただでさえ暗いのに、家の明かりも届かない場所で、しかも街灯すらない。
こんな時間に出歩くこと自体がこの村では珍しいことなのだろうけれど、それにしたって不用心だ。どこの暗がりに不審者が隠れているか、分かったものではない。あの街では考えられなかったことだ。
「この辺りでいいかな。」
「何、変なことでもする気?」
「………。そんなに餓えてるように見」
「なんてね。」
肩を竦めてみせる。先程の仕返し、というわけだ。
宮治さん、そんな甲斐性なさそうだし。なんてことは思っても言わない。たとえ「友達」だとしても、地雷になり得るものを踏みに行けるほどにはまだ、親しくない。
それに、何となく大丈夫だろうと思ってしまっているけれど宮治だって一応男だ。人気のない道で人家は遠い、という意外と危険な状況だということを踏まえても、そういうことは言わない方が良いに違いない。万が一でも、甲斐性なんて見せられたら困るのは都だ。
「それで、結局何なの?雨なんて一滴も」
「降ってるよ。」
「え?」
「ほら。」
少し勢いを付けて、宮治が頭上を覆っていた傘を外す。
暗幕代わりの傘の下で闇に慣れていた都の視界に飛び込んだのは、夜空を埋め尽くす星空だった。街にいた頃は見たこともなかったような大きな、明るい星たち。その隙間を埋めるように小さな星が瞬く。
小学何年生だったかの夏休みに、星を見る、という宿題が出たことがあった。学校で貰った星座盤を見ながらその日見えた星座を写して、ついでに感想も書くというものだ。都も勿論夜空を見上げたけれどそこには弱々しい光がぽつりぽつりとあるばかり、待てど暮らせど星座なんて見えなかった。結局都は、夜空ではなく星座盤をスケッチして、二学期の始めに何食わぬ顔で先生に提出した。
あのときは、星座盤が間違っているか、もしくは違う街で作ったものだから自分の家とは見え方が違うんだと思った。中学に上がる頃にはそんなわけのないことは理解していたけれど、どちらにせよ都の街には星座盤通りの夜空が現れることはなかった。
……こんなところにあったんだ。都は思わず溜息を漏らしていた。
探し求めていた、というほどではないにしても、どこにあるのか気になる程度には気にしていたものを、見付けた。
無意識の内に頬を緩めていた都を横目に見下ろして、宮治も微笑む。
「降るような星、って言うでしょ。…そうだ、降ってきた星は都ちゃんにあげよう。」
「………ばっかじゃないの。」
星空から視線を外さないまま、微笑みだけがすっと消える。しかし、上気した頬を見れば都がどんな気持ちでいるかは考えるまでもなかった。
宮治は一度視線を夜空に泳がせる。
「馬鹿でも、この村の良さは君より知ってるよ。」
「………。」
改めて、今度は真っ直ぐに都を見下ろす。
「ここには何もない、って君は思ってるようだけど。」
正確に言えば、思っていた、だ。都はもう、見付けたから。
「君の知らないことが、ここには沢山ある。」
都も真っ直ぐに宮治を見上げる。
出会ったときにはなかった輝きをその瞳の中に見付けて、宮治は穏やかに微笑む。
「探してごらん。きっとこの村が大好きになる。」
答えの代わりに、都も笑った。




――――おしまい



星空の下傘さしてるっていうところが書きたくて。
都が田舎に何もないと思ってるのと同じように、宮治も、都会の子は礼儀がなってないんじゃないか、みたいに思ってます。
あ、都の友達ですが、爆笑した子たち以外にもきちんといます(笑)
しかし気が付いたら微妙にお姫様症候群なお嬢さんになっていた、ということだけがどうにも不可解です。何でだ。

脳内ではまた世界が広がって、弟君の名前は葵だったり、宮治の親友で花屋のタカユキと酒屋のアキラが登場したりもしてますが、それをどうするんだよっていう話で…。脳内で乙女ゲー。駄目すぎる。


はと部屋

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