花弁に託す願い







ねえ、あなたはどう思う?
春っていうと、何が思い浮かぶ?


「春といえば、桜でしょ?」
「当然、桜。」
「っていうか、桜じゃなきゃ何?」


桜、桜、桜。
やっぱりあなたもそうなの?





はらはらはら。
今年はいつになく早くに咲いた桃色の花の花弁が風に舞っていく。
そのちょっとした桜吹雪の中を歩いているのは、私も含め、春休み返上でクラブの為に登校してきていた女子高生。皆、校門に向かって歩きながら、もう散っちゃうね、なんて話してる。
日本人は、風に舞って散っていくこの花に風情を感じる、らしい。この花は日本人の一番好きな花、らしい。
勿論本当かは知らない。話で聞いただけだから。
でも、嫌いな人なんていないんじゃないのー?なんて、その話をしてくれた友達は言ってたっけ。
…残念、あなたの考えは外れてる。
だって、ここに一人いるんだから。この花が嫌いな人間が。
その花の名は……



「さくら〜!……もー、さくらってば、まぁた桜にケンカ売ってるの?」
校門から、見知った顔がこちら側を覗いた。
「別に、そういうわけじゃないけど…。」
学校をぐるりと囲む塀の内側にずらりと並んだ桜の、一際大きくて立派な樹の前で腕組みをしてその樹を見上げていた私は、あえて声のした方には目をやらずに呟いた。まるで、言い訳する子どもみたいに。
「何で嫌いなの?こんなにきれいなのに。」
手を後ろに回して、んーっと伸びをしながら樹を見上げてる彼女は、この高校に入ってから出来た友達。クラスも一緒、クラブも一緒、帰り道も途中まで同じ。自然に仲良くなっていた。
聞かれた事になんて答えたらいいものかと考えていたら、彼女はゆっくりと前を歩きながらそういえば、と話し始めた。どうもさっきのは質問じゃなかったらしい。
「落ちてくる桜の花弁をつかまえることが出来たら願いが叶う、とか、やったよね。」
確かに、そういう話は聞いた事がある。一時期それが流行って、桜の木の下に女の子が群がってる事もあったっけ。…まあ、私はやらなかったけど。
「あれ、つかめたことないんだ〜。何回も挑戦はしてるんだけど。」
と言いながら、彼女はまた上を見上げたままあっちへふらふら、こっちへふらふら。これって危ないと思うんだけどな。
「………だって、桜ばっかり目立ってるじゃない。」
「え?何か言った?」
またぼそっと言った言葉が聞こえたらしくて、彼女がこっちを見た。
「ん〜ん、何でもない。」
笑顔で言って、彼女の所まで小走りで走った。



私の名前は、百瀬さくら。冗談みたいな名前だけど、これが冗談じゃない。まあ、「桃瀬」じゃなかっただけよかったのかもしれないけど。
三月の終わりの頃、梅も咲いてそろそろ桜も咲きはじめるねっていう季節…ちょうど今ごろ…に生まれたのと、両親のお茶目のおかげでこんな名前に……っていっても、この名前は嫌いじゃないんだけど。むしろ気に入ってるかな。初対面の人に覚えてもらいやすいし。
確かに、小さい頃は名前と同じ桜が大好きだった。この季節には毎日飽きもせずに外に出て近所の桜並木を歩いたりしたしね。
でもある時気が付いたの。
桜の樹の根本で、道端で、花壇で風に揺れてるその他の花に。
春は、雪解けの季節。この辺りでは雪なんて降らないけど、寒い冬が終わって一気に暖かくなるのに変わりはない。暖かくなったら当然、生物たちの動きは活発になって。気が付いたら庭草はボウボウだし、雨の次の日なんか川沿いの道は虫が凄いし……って、それは関係無いか。
とにかく、春は芽吹きの季節。でも、芽吹くのは桜だけじゃないってこと。
…ある時、小さかった私は見つけたの。花見だって騒いでる人たちの敷いたシートの下敷きになってもまだ頑張っていた、蒲公英を。
蒲公英って、寒い季節はあの長くてギザギザした葉っぱを全部伏せて、土の温度が下がらないようにして春を待ってるって、知ってた?私、そのことを知った時に凄く感動した。桜に比べたら、とっても小さな花なのに、頑張って春を待ってる。
その時からかな。桜が好きでなくなったのって。
蒲公英はこんなに頑張ってるのに、どうして皆見てあげないの?どうして桜を見てるの?
小さい私には、冬枯れの桜も幹の中で栄養作ったりして春を待ってるっていうのはわからなかったんだ。勿論今は知ってるけどね、でも……すり込みみたいなものなのかな。きれいだとは思っても、好きだとは思えない。



「じゃあ、またね〜。」
「うん、バイバイ。」
分かれ道で彼女と別れると、そこからは一人になる。人通りも少ない住宅街。でも、そこかしこから可愛らしい花が顔を覗かせているから、一人でよかった、と思う。一つ一つをのんびり眺めながら帰れるからね。
と、あの花弁がまたひらりと飛んできた。
実は、分かれ道と家との中間辺りにある駐車場にはこれまた立派な桜の樹があったりする。私はその側に行くと樹を見上げた。
「今日も綺麗ね。」
植物は話し掛けるとよく育つし長くもつっていう話を聞いてからは、この駐車場の前を通りかかるときはこうして一言声をかけるようにしている。あれは観葉植物だけだったような気もするけど。
……え、矛盾してるって?
そうなんだけどね。でも、この桜だけはちょっと事情が違うから。
ここは、あの蒲公英を見つけた場所だから。今も、桜の根本に黄色い花が揺れてる。
そっと幹に両手をあてて、それからゆっくりと耳を幹に押し当てる。
「……………。」
水の流れる音が聞こえる。
この音を初めて聞いた時も感動したっけ……
「何してんの?」
突然聞こえた声にハッと閉じていた目を開くと、目の前に見知らぬ男の顔。しかも何か楽しげ。
「べ、別にっ!」
がばっとその場から離れて、手櫛で髪を整える。顔が熱い。多分…ううん、絶対、顔赤い。
目の前の謎の男はやっぱり楽しげに笑いながら、樹の幹をぺちぺちと叩いてる。年は…多分、18、9。暇な大学生って感じ。茶髪にピアスの、まあ、今風な恰好。
「……失礼します。」
近所では見かけない顔だし、この辺りに大学なんてないし。こんな怪しげな男とは関わらないほうがいい。そう判断して踵を返しかけた。でも、
「桜、好きなんだ?」
「嫌いです。」
即答していた。無視して帰ればいいんだけど、自分が桜にくっついて話し掛けるほど桜好きだなんて勘違いされるのは嫌だった。
「でも、今…」
「この桜は特別なんです。」
遮って言って、樹を見上げた。今更帰ることも出来ないけど、近寄っていくのも嫌だったからその場に立ち尽くしたまま。
すると、謎の男は凭れていた幹をトンと押して立ち上がり、こっちに近づいてきた。
「何か思い出でもあんの?」
「………。」
私の隣に立って同じように樹を見上げる男から少し身を引く。
「よっぽどこの桜がお気に入りなんだな。」
「………。」
また無言で返す。
…つもりはなくて、まあ、とか、適当な相槌を打つつもりだった。でも、それは出来なかった。男の次の言葉のせいで。
「ここ通りかかったらいつも何か話し掛けてるよな。」
「……!!?」
言葉が出なかった。
何でこの人、私の普段の行動を知ってるの?誰かに言った事もないのに…!
………まさか。
「ストーカー……。」
思わず口に出してた。まさかこの人、最近多いストーカーってやつ?
「は?……俺が、ストーカー?」
男は自分を指差して聞いてきた。私はバッグを前抱きにしてじりじりと後退りながら、ウン、と頷いた。
「…………ぷっ……くく、ははははは、あははははははっ!!」
ど、どうしよう、バレたからって開き直って笑い出したのかも…!
でも、男はヒイヒイ言いながら涙を拭った。
「まっさか、冗談やめてくれよ、何で俺がそんな事を…」
「じゃあどうして知ってるんですか!私がいつもここに来る事!」
バッグ前抱きで逃げる体勢は崩さずに言い返す。ちょっとした動きも見逃さないように、相手を見据えて。
「ん〜…そりゃあ、まあ……見てたからだけど…」
「やっぱりそうじゃないですか!」
「いや、ちゃんと聞いてくれよ。つけまわしてるんじゃなくてさ、見えるんだよ。俺の部屋から、この桜が。」
両手を広げて、どうどう、または待ったのジェスチャーをしてみせて、それから私の後ろの方を顎で示した。多分、自分の部屋がそこだって言いたいんだろうけど、油断は禁物。警戒したまま、さっと振り返る。そこには確かに学生寮のような建物があった。
「でも、話し掛けてるって」
「それは、今話し掛けてるのが聞こえたから、いつもそうなのかな〜と。」
わかってくれた?という風に首をかしげて眉を少し上げる。
「はあ……じゃあ、そういう事にしておきます。…それじゃ。」
今度こそ帰ろうとして、踵を返した。けど、
「ああ、ちょっとちょっと。」
声と共に腕を掴まれた。
「!!」
私がどんな顔をしていたのかはわからないけど、男はあ、ゴメン、と言ってすぐに手を離した。
「……まだ何か?」
もう用はないはずなのに、どうして引き止められなきゃいけないのか、尋ねる。
「ん、何で桜が嫌いなのかな、と思って。」
「……そんなの、関係無いじゃないですか。」
「まあそれはそうだけどさあ。」
また桜のほうへ歩いていく。今度は私も少しだけ近づいた。
男は桜の根本に座り込んだ。
「………聞きますけど、春といえば、何だと思います?」
「え?」
「春、っていう言葉を聞いて、まず何を思い出します?」
相手をじいっと見つめて、答えを待つ。
男はうーん、と唸ってから上を見上げた。
「やっぱ、桜じゃないの?」
やっぱり……この人もそうなんだ。
「桜、ですか。」
溜息混じりに言う。なんだかんだいってこの人も結局は桜なんだ。……別に、何を期待していたわけでもないけど。
最初、不思議そうにしていた男はきっと冷めた目をしてる私を見て何か思ったらしく、少し身を乗り出した。
「ちょっと待った。今のってさ、どっちかって言うと誘導尋問に近いよ。」
「はぁ?」
「だから、この場所で、この桜の話してて、それで『春といえば?』って聞かれたら普通桜って答えるって。」
………。言われてみればそうかも…しれないけど。
「それはそうだとしても、桜はちやほやされすぎです。皆、他の花には目を向けずに、桜、桜って」
「それも違うと思うなあ。」
「…え?」
私の言葉を遮って、男は腕組みをしてうーん、と唸った。それから
「それってさ、あれじゃないかな。被害妄想ってやつ?」
と首をかしげた。
「な…っ」
「君は気付いてないだけだよ。」
笑顔で言って、そちらは見ずに桜の根本で揺れてる蒲公英を指でつんと突いた。まるで、初めからそこにあるのを知っていたみたいに。
「例えばここに咲いてる蒲公英。今はまだ早いけど、もうすぐ種をつける。あれを見つけたときって、こう」
と言いながら草を抜く真似をして、それからその手を顔の前辺りにもってきて、ふう、と息を吹いた。
「…やっちゃうだろ?」
そういえば去年も、中庭で友達と話してる時に見つけて、一息で吹き飛ばせるか!なんてやってたっけ…と思いながらうん、と小さく頷く。
「あれをやってるのは君だけ?」
「え…」
「小さい子どもとか、仕事帰りで疲れてる大人とか…学校帰りの学生とか。綿毛見つけたら思わず吹き飛ばす人って多いと思うんだ。」
自分の吹いた綿毛が風にのって高く遠く飛んでいったりすると気持ちいいよねー、そう、友達と話した記憶がある。
「それってつまり、皆、蒲公英の事も見てるってコト。だろ?」
首をかしげて笑う。
「むしろ、君のほうが見てなかったんじゃないかな。皆が桜以外の花も見てることを。」
気付いてなかったっていうかさ、と続ける。
………。
「まあ…桜のことに関して敏感になってた部分はあると思いますけど…。」
「負け惜しみ言わないで、素直に認めたら?」
「……嫌な人ですね。」
「ありがとう。」
男はにっこり笑って言ってから、よいしょ、と立ち上がった。と思ったら、上を見上げてふらふらしだした。どうも、花弁をつかまえようとしてるらしい。
よっ、はっ、とおっ、とか掛け声と共に手を打ち合わせていたけど、なかなかつかめない。それでも、止めようとしない。
帰ってしまおうかとも思ったけど、どうせ帰ってもすることないし、と理由をつけてその様子を見ていることにした。結構難しいな、と笑いながら花弁を追いかける姿はまるで子どもみたいだった。
「…よっぽど桜が好きなんですね。」
少しだけど話してみての感想だった。桜が本当に好きだから、桜にくっついていた私を見かけて興味を持って、桜が嫌いだと言い切る理由を知りたがって、最後にはその理由をなくさせて。
男は、少しだけ動きを止めて考え込んだけど、またすぐに上を見上げた。
「まーね。桜だけじゃなく、他の花とか鶯とかも好きだけど……やっぱ、さくらが好きみたいだ。」
「……ふーん。」
普通に相槌を打ってはみたけど…何だろう、今の違和感。
「おっ。」
何か、ニュアンスが違ったような……
「じゃん。」
目の前に合わせた手の平が突き出された。顔を上げると、男は私の正面に立っていた。
顔を見てから、手の平を見る。と、その手が開かれた。
そこには、綺麗な桜の花。花がそのまま落ちてきたらしい。
「花弁五枚だから、願い事を叶える力も五倍かな。」
笑いながら言って、その花を潰さないように、そっと持ち上げる。じっと眺めていたかと思うと、いきなりその花ににキスをして私の頭の辺りに手をやった。
「え?」
「君が桜を好きになりますように。」
それだけ言うと、私に背を向けて歩き出した。出口に向かって、まっすぐ。
髪に何かが触ってるのを感じて手をやると、そこにはあの桜の花。潰さないようにそっと取ってから遠くなっていく背中を見ると、もう道に出ていて、駐車場の壁の向こうに消えていくところだった。
「待って!」
咄嗟に叫んで道に走り出て、左右に伸びる道を見た………でも、そこに人の姿はなかった。曲がり角は大分先だし、他に隠れられるところもない。男の姿は、忽然と消えていた。
風に飛ばされた桜の花弁が、はらはらと、視界を斜めに落ちていった。










それ以来、あの男の姿は見ていない。
学生寮の管理人さんに聞いたけど、今あの寮で桜が見える部屋に入っているのは、あの男とは似ても似つかない印象の持ち主だった。
近所の人たちに聞いてみてもやっぱり知らないという。
夢だったのかも、何度もそう思った。でもその度に、綺麗に押し花にしておいたあの桜を見ては夢じゃない、と思い直した。これは、名前も知らないあの謎の男が、私にくれたもの。桜を好きになるように、という願いと共に。


そういえば、あれから変わったことがいくつかある。
私はあれ以来、桜にケンカを売らなくなった。桜を見ても、変な気分にはならなくなった。
それから、あの駐車場の前を通りかかると、声をかけた後にじっと上を見上げて、風に舞う花弁を追いかけるようになった。あの桜の前でだけ、だけど。
狙うは一つ。花弁五枚揃った、綺麗な桜の花。
「花弁五枚で、願いを叶える力も五倍…か。」
つかまえた時、叶えてもらう願いも決めてる。
それは――






「何してんの?」
広げた手の平に、綺麗な桜の花が滑り込んだ。




――――おしまい




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